いまの電子書籍

いったん紙の書籍という概念に落とし込んだものを、デジタルに変換しているものが多いという印象です。不便なのは当然で、わざわざ塩水に漬け込んでから塩抜きしているようなもの。

書籍の流れ

「著者→出版社→印刷屋→取次→書店→読者」という流れの中で、それぞれが食いっぱぐれない仕組みが必要であり、業界の一時しのぎではなく、未来を設定して、そこに向かう段階的な施策が必要だと思います。現在の流通ルートを流用できる強みがあるはずです。現状の販路を利用した方法があるはずです。

いまは、電子書籍ではない「何か」に向かっている過渡期としての電子書籍があるのではないかと思っています。電子書籍において、それを映し出すデバイスはとても重要なものです。コンテンツを充実させてデバイスの価値を上げるべきで、進化させるべきものはデバイスだと思います。

書店をセレクトショップと考えるなら、品揃えだけが価値に成り得るものではありませんね。コンテンツを整備できるのなら、それを映し出すデバイスを作るべきだと思います。

一方で、紙とペンは最強のツールだという、デジタルはアナログに帰還するという考え方は捨て切れません。やはり紙の書籍で読みたい本もあります。松本清張の本は紙の書籍というパッケージで、表紙は劇画タッチであってほしい。赤色の背表紙であってほしい。古典であるほど紙の書籍で読みたいです。

読むためのデバイスと購入手続きをするデバイス

読むためのデバイスは読むことに特化してほしいけれど、欲しい本が決まっている場合はそれをすぐに購入できる仕組みも必要ですね。読みたい本を探す時は、その出会いを提供してくれる書店までいって、いろいろと吟味したいのです。

しかし、毎度書店に行って電子書籍を買うなんてことはあまりイメージできません。理由なく「そこにいかないと手に入れられないコンテンツ」という、こちら側の都合を売りつけてはいけないと思うのですね。

無料コンテンツと有料コンテンツ

たとえばお金を払って映画を観るということは、YouTube で動画を観ることとは違います。お金を払うという行為自体が、コンテンツの評価を変えます。お金を払ったことに対して自分の失敗を認めたくないので、ある程度は美化されるようです。自分の選択は正しかった。できればそう思いたいのです。有料コンテンツは行動を生み出します。お金を払っているからこそできる評価があります。

無料コンテンツは、サブカルの成長のように、お互いを高め合う場所に適しているのではないかと思います。クリエイターとユーザーの垣根があいまいな場所です。

たとえば、有料コンテンツを自由にコピーできる形で配布することに拒否反応を示すよりは、もっと広い枠組みでの「本」というものを捉えていくのはどうでしょうか。ルールづくりではなく動線づくり。自己抑制を働かすことで市場を活性化させていく考え方です。ただし、自由な空間にカルチャーは生まれません。最低限のルールがあるからこそ、そこから脱線する人が現れて新しいものが生まれるのだと思います。

図書館と要約サービス

最近は、立ち読みどころか飲み物を片手に本を選べる書店などが増えてきました。中身を自由に見せることで、その結果売上につながっているようです。また、書店にはライフスタイルの提案という物語性があります。

あまり家にたくさんの本を置きたくなければ、図書館で読みたい本をリクエストすることもできます。一定数買う人がいるし、一定数借りる人がいるということです。その一部だけを見て問題だとして規制を強めたのは音楽業界ですね。電子書籍にとって、図書館や本の要約サービスの存在は何の脅威でもないと思うのは、そもそもターゲット層が異なるからです。

電子書籍の課金方法

基本的には、本を購入するというコンテンツごとの課金ですが、本を読む前に「この本は自分にとって読む価値があるか」を判断する時間をできるだけ排除したいのです。

紙の書籍にはできなくて、電子書籍にはできることがあります。オンラインにコンテンツがあれば、それらを横断して読むことができるし、多くの人がしおりやマーカーを引いている周辺だけを読むこともできます。

買った本は最初から最後まで読まなければならない、という本への粘着力を弱めることで、コンテンツの本質へと向かうことができるのではないかと思います。著者や編集者も、本という体裁を保つために内容を300ページ程度まで膨らませる必要もありません。

読者への課金としてたとえば、最初はわずかなサンプルを読み、そのまま読み続ければテキスト量に応じた課金がされる。一冊丸々そのコンテンツを読み終われば、コンテンツごとの課金がされる。さらには、毎月電子書籍を読む量がそれなりに多い人へは適切な定期課金も用意されているなど。月額固定費やコンテンツごとの課金、文字数や時間での課金など。パッケージ販売ではなく、ライフスタイルに合わせた「どんぶり勘定」です。

これは、書籍という単位を再定義するということです。業界全体を盛り上げて、コンテンツ利用を活性化させる。全体で利益をだす。コンテンツ単体では赤字になるものがあったとしても、全体で利益をだす考え方です。

書籍単位の再定義にこそ、Amazon など大手にはできないことや、著者側にしかできないことがあるように思います。

書籍と電子書籍

紙の書籍は紙に最適化されたものなので、その中身が電子書籍に置き換わるというのは考えにくいです。紙か電子化のどちらが良いかということではなくて、紙は紙、電子は電子です。電子書籍は電子である理由を、法的や人的な立場から探っている状態だと思います。

書店も様々です。出版社から支給されたPOPを置いているだけのところもあれば、独自のPOPを用意したり、陳列に物語性を持たせているところもあります。こういったリテラシーの格差はネットにもリアルにもあります。人それぞれですね。

雑誌をみて、そのお店に行く人もいます。テレビで紹介されたものを買う人もいます。ネットの記事に騙される人もいれば、それを煽る人もいます。どちらが良い悪いということではなく、人それぞれなんです。

プロの消費者

これは最近実際に書店で耳にしたことです。
「渋谷店に在庫がございましたので、お取り寄せとなります。2,3日後にまたお越しください」
その方は「はい、わかりました」といって帰って行きました。

多様性に対応していくと共に、進化していくことは止めるべきではないと思います。新しいことは、情報感度の高いイノベーターから広めないといけない。独自の洞察力とセンスを持った人から始めないといけない。プロの消費者がもたらす経済効果は大きいです。しかし、それによって(のみ)成り立っている市場があるかと思うと残念でなりません。

――つづきます。

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