電子書籍でメディアをまたぐ

映画の続きを小説で読み進めて、ドラマにつながる。ドラマで使われたアイテムは展示される。それぞれのアイテムにまつわるサブストーリーがあり、それぞれに対応する電子書籍も出版される。こういったことは安易に発想できるが、飾りが多すぎて長続きはしなさそうですよね。書いてるだけでめんどくさいし。

たとえば制作会社から下請けへと仕事を流し、美学を持たない作者が浅いコンテンツをつくりあげ、一定数のある種の客が入る。これも寛容するけど、これはこれ。良いものは作りたい。

読む人によって内容が変わるビジュアルノベルのようなものもいいですね。

手触りとニュアンス

編集は大切なものです。本腰を入れて読まれるものに関しては必要なものです。映画のようにパッケージされたもので、その世界に浸りたいと思うような物語性があるものです。物語性を、その作品に漂う匂いとするなら、その物語性(匂い)も作品の一部です。立体視や香り、風や振動など、アトラクションのマシーンのように作品で味わう体験の感動をより大きなものにします。その作品そのものにだけではなく、その周辺のコンテンツにも価値があっていいと思うのです。

もっとゆるい段階で出版してもいい

じっくり編集して世の中に出す前に、何版かベータ版を出版する。この部分をもっと書いてほしいとか、読者の声も直接著者に届きます。オープンソース化、SNS化するのが目的ではないので、そこに耳を傾けるかどうかは著者の自由です。そもそも著者や出版社は、読者の反応に寛容であり、多種多様な反応がネットやリアル問わず発生するのは、それだけ放っておけないコンテンツということです。

電子書籍の再構築

書籍という単位が再定義されれば、いろんなジャンルの本にも手を出しやすくなります。普段は読まないジャンルの入門書にも出会える仕組みが必要。もしくは、読む読まないは自由なおまけ本がついてくる。あくどいくらいの専門書がついてくるなど。

日本人の感性

日本人の読む本は日本人の感性で作っていきたいですよね。海外サービスの劣化コピーではなく、日本人の感性フィルターを通して作られたものです。その完成に少なからず影響を与えるのも、何かしらのクリエイティブです。まったく異なる分野から刺激を受けてアイデアが生まれるように、異分野がお互いに刺激しあってグルグルとまわっていくきっかけとしても、電子書籍は有用なものだと思います。

劣化コピーは全力で淘汰されるし、本物は必ず発見されると思います。センスのある人がものづくりをしていく環境は必要だと思うのです。継続してクオリティを保つのがプロです。

縛られた場所で、限られた機能の中で、思いも寄らない使い方を発見して成熟させて、その膨大な市場すら作ってしまうのは、日本人の得意とするところでしょう。

ユーザーインターフェイスの気持ちよさ

紙の書籍のペラペラ感、付箋を貼るという行為など、気持ちいい体験のデザインが必要ですね。ユーザーインターフェイスは生活にも大きく影響を与えるものです。本の貸し借りはしたいです。誰かにおすすめしたくても買ってもらわなくてはいけないので、なかなか行動を起こすまでの敷居が高いのです。

本を読むために、ログインや会員登録しないとサンプルも読めないようなものは、グロースハッカーとはいいませんね。

行動につながる電子書籍

情報を得たら、そこで考えるのをやめないこと。行動を起こすことをやめないこと。多くの人が「何もしない」を選ぶとつまらないですよね。その人のやり方で、知識を経験へと変えるきっかけを作りたいです。

これから本を読もうとしている人に対するサービス、これまで本を読んできた人に対するサービス。この2つには見せ方の違いが必要かも知れません。

サービス終了とともに読めなくなる電子書籍

Webサービスは立ち上げから10年ほどで終わってしまうものがほとんどです。なるべく信頼できる大手のサービスを利用したいです。選択は Amazon や Apple など。日本の大手で電子書籍に本気で取り組んでいるところがあるとはお世辞にも言えません。

ある意味では、出版社はすごく丁寧に書籍と向かい合ってきたのだと思います。洋書と比べると、日本の書籍の紙質や体裁の良さは群を抜いています。10年以上は軽く持ちます。

すべてを変えてしまう特異点

紙の書籍でも電子書籍でもない「何か」、特異点を越えるような「何か」の気配を感じてならないのですよ。未来の本というのはね。

――おしまい。

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